死に至る病
時は明治の時代、発足間もない大日本帝國陸海軍には、恐るべき病気が蔓延していた。その病気は俗に『江戸患い』などと呼ばれていた。いわゆる『脚気』である。
たかが脚気と馬鹿にしてはいけない。脚気は放置すると死に至る病だったのである。
ことさら海軍における脚気の蔓延は深刻であった。例えば明治15年に海外練習航海から帰国した軍艦・龍驤の場合、9ヶ月間の航海中に乗組員378名のうち168名が脚気を患い、うち25名は死亡していたのである。
龍驤は艦隊司令部に以下の一文を打電してきた。
病者多シ。航海デキヌ金送レ。
「このままでは戦闘はおろか航行さえままならない。我が海軍は戦わずして壊滅してしまう。」海軍首脳部が頭を抱えていた頃、イギリスより一人の海軍軍人が留学を終えて帰国した。
高木兼寛
名を高木兼寛という。(氏はのちに東京慈恵医大を創設している)
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高木 兼寛(たかき かねひろ) |
高木は留学先のイギリスでは殆ど脚気が見られなかった事から、日本人とイギリス人の食生活の違いに着目、艦内のメニューをすべて洋食に変更した上で、軍艦・筑波を龍驤と同じ9ヶ月間海外練習航海に出す実験を行った。
結果、乗組員に脚気は発症しなかったのである。
筑波は艦隊司令部に以下の一文を打電してきた。
病者一人モナシ。安心アレ。
海軍的合理精神
このことから海軍は、食生活と病気に何らかの因果関係が有る事をつきとめ、海軍全体で兵食メニューの一新に努め始めた。原因は不明ながらも、効果があるならやってみようと行動を起こしたのである。
この発見は直ちに陸軍にも伝えられたが、陸軍では「この情報は偶然の産物である」として、切り捨ててしまった。海軍はイギリス海軍を模範としており、陸軍はドイツ陸軍を模範としていた。当時のイギリスでは臨床医学が盛んであったが、ドイツでは細菌医学が盛んであったため、陸軍では「脚気は細菌による伝染病」とする姿勢を崩すことが出来なかったのである。(※なお、当時栄養学なる学問は確立されてはいなかった。)
バタ臭い・・・
食生活と脚気に何らかの因果関係が有る事をつきとめた海軍は、軍艦・筑波での実験データから兵食を洋食とする事に努めたが、水兵の間では著しく不評であった。
当時の多くの日本人にとって、洋食は「バタ臭い」食べ物であり、到底食べられる代物ではなかった。下士官兵にとって食事は軍隊生活において唯一の楽しみであり、食事が不味いと士気に影響した。また、兵食を洋食に切り替えることは莫大な費用を要した。
食いしん坊提督
そんな時、ある提督のわがままが良い結果をもたらした。その提督こそ、東郷平八郎海軍中将(当時)である。舞鶴鎮守府の初代鎮守府長官に着任した東郷提督は、イギリス留学時代に食べたビーフシチューの味が忘れられず、部下に「ビーフシチューをつくれ」と命じたのであった。
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元帥 東郷平八郎海軍大将 |
ビーフシチュー等知らなかった料理長が、
デミグラスソースの代わりに醤油と砂糖を用いて悪戦苦闘の課程でつくりあげたのが、『肉じゃが』だったのである。
以後肉じゃがは、「洋食の代用食として効果的に牛肉を摂取させる事が出来る画期的料理」として海軍で大いにもてはやされる事となった。
森 鴎外驚愕す
そもそも舞鶴鎮守府が開設されたのは、日本が帝政ロシアを仮想敵国としたことに端を発するが、日露戦争時に海軍は脚気の発病者を殆ど出すことがなかったという。(因みに東郷中将は大将に昇進し、聯合艦隊司令長官として日本海大海戦を指揮している)
この頃になると海軍の脚気研究は更に進み、原因は不明ながら、兵食を米麦等食とする事で脚気は予防できる
事を発見していた。
これに反して「脚気=細菌説」を堅持していた陸軍では、日露戦争時に約21万人が脚気にかかり、うち約2万7千人が戦病死している。この事実には陸軍軍医総監にまで出世した森林太郎軍医中将(鴎外)も、さぞや青ざめた事であろう。
彼こそが陸軍内で「脚気=細菌説」を最も強硬に主張し、海軍からもたらされた情報を一蹴した人物であった。
海外から満洲に派遣されてきた外国の観戦武官たちは、日本の兵卒がふらふらしながら突撃していく様を見て、『日本ノ兵隊ハ恐怖ヲ紛ラワセルタメニ
酔ッパラッテイル』と誤解していたらしいが、実際は脚気の蔓延によって満足に走る事さえ出来ない兵隊が続出していたのであった。海軍の米麦等食について知っていた一部の下級将校の中には、「麦飯が喰いたい」と呟きながら死んでいった者も居たという。
陸軍において 米麦等食が実施されたのは日露戦争後の事であった。
なお、前述の森少将は、死ぬまで「脚気=細菌説」を主張し続けていた。
元祖争い
いまを去ること数年前、舞鶴市・舞鶴観光協会・舞鶴商工会議所は、『舞鶴は肉じゃが発祥の地である』と高らかに宣言した。
しかしこの宣言を聞いて、まったをかけた自治体があった。舞鶴と同じく、かつて海軍の鎮守府が置かれていた広島県呉市である。呉市の主張によると、肉じゃがは呉鎮守府が元祖だというのである。
舞鶴市と呉市、この両者は互いに元祖を主張し、お互い一歩も引く気配がない(現在、舞鶴の市会議員の間では、「肉じゃがの元祖を主張しているのに肉じゃがを食べられる所がない」事が問題になっているという)が、肉じゃがが脚気対策として考案された海軍料理にそのルーツがあることだけは紛れもない事実の様である。
おふくろの味
もし、「貴方がおふくろの味と聞いて連想する料理は?」というアンケートを実施したら、間違いなく上位にランキングされるであろう肉じゃがであるが、そのルーツが海軍料理だった事を知る人は少ない。
肉じゃが(甘煮)の作り方 (『海軍厨業管理教科書』による)
材料 生牛肉、蒟蒻、馬鈴薯、玉葱、胡麻油、砂糖、醤油
所要時間
1.油入れ送気
2.3分後生牛肉入れ
3.7分後砂糖入れ
4.10分後醤油入れ
5.14分後蒟蒻、馬鈴薯入れ
6.31分後玉葱入れ
7.34分後終了
備考
1.醤油を早く入れると醤油臭く味を悪くすることがある
2.計35分と見積もれば充分である