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凡海郷とは
凡海郷とは、かつて丹後國伽佐郡(現在の京都府舞鶴市及び加佐郡大江町あたり)にあったとされる郷名です。 大浦半島に隣接する大きな島であったようです。

消えた凡海郷
伝説によると、大宝元年(西暦701)三月、凡海郷は三日三晩続いた地震により郷内の峯ふたつを残して海没してしまいます。 そのふたつの峯こそ、日本海に浮かぶ絶海の孤島・冠島(かんむりじま・別名雄島)と沓島(くつじま・別名雌島)だといわれています。
信仰の島
冠島は一般に『おしまさん』と呼ばれ、地元の漁師さん達の篤い信仰の対象となっています。遭難した漁師さんが冠島に漂着して命が助かったという逸話がたくさんあるからです。漁師さん達は島への貢ぎ物を欠かしません。 海人族伝説
丹後の國にはかつて、のちに海人族と呼ばれる一族が住んでいました。彼らは航海術に秀でており、凡海郷にもたくさんの海人族が住んでいたものと思われます。

凡海郷海没後、彼らは最も近かった大浦半島か、仲間がたくさんいる丹後半島へ移住を余儀なくされました。
天火明神と日子郎女神
古来より冠島には天火明(あまのほあかり)神が、沓島には日子郎女(ひこいらつめ)神がお祀りされています。
古代の丹後に於いて、この二神を祖神と仰いでいる集団がありました。それが海部直(あまべのあたい)と凡海連(おおしあまのむらじ)と呼ばれた人達です。
彼らは丹後を支配する技術者集団でした。 海部直と凡海連
天火明神と日子郎女神(亦名・市寸島比売神)を祖神と仰ぐ海部氏は、丹後風土記編纂時には直の
姓(かばね)を朝廷から賜っていた様ですが、元来は丹後を支配していた古代豪族でした。 宮津市にある籠神社(このじんじゃ)は、代々海部氏が宮司を務めている神社ですが、かつては日本三景の一つである天橋立でさえ、籠神社の参道にすぎなかったといいますから、その勢力がどれほど凄まじかったかを伺えます。
一方の凡海連は、壬申の乱にて大海人皇子の味方に付き、天武天皇即位に尽力しています。


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