名 称 比沼麻奈爲(ヒヌマナイ)神社
所 在 地 京都府京丹後市峰山町久次
主 祭 神 豊受大神
相 殿 瓊瓊杵尊 天之児屋根命 天之太玉命
奥 宮 ?
摂 社 ?
末 社 ?
祝 部 ?
御由緒(比沼麻奈爲神社編纂による)
遠き神代の昔、この真名井原の地にて田畑を耕し、米・麦・豆等の五穀を作り、また、蚕を飼って、衣食の糧とする技をはじめられた豊受大神を主神として、古代よりおまつり申しています。
豊受大神は伊勢外宮の御祭神で、元はこのお社に御鎮座せられていたのです。すなはちこのお社は、伊勢の豊受大神宮(外宮)の一番元のお社であります。
多くの古い書物の伝えるところによれば、崇神天皇の御代、皇女 豊鋤入姫命が天照大神の御神霊を奉じて大宮処を御選定すべく、丹波国(現在の丹後国)吉佐宮に御遷幸になった時、此処にお鎮まりになっていた豊受大神が、天の真名井の清水にて作られた御饌を大神に捧げられたと伝えられています。
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二の鳥居と拝殿
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建築様式
比沼麻奈爲神社の社殿は神明造、千木は外削、拝殿の勝男木は七本です。
本殿は文政九年の建立、外本殿と拝殿は大正年間の建立です。
私的感想
通常、丹後には元伊勢が三社あると言われています。その一社が比沼麻奈爲神社であり、あとの二社は宮津市の籠神社と大江町の元伊勢三社です。
画像を見ていただければ解ると思いますが、比沼麻奈爲神社はきらびやかな雰囲気が全くありません。しかしながら静寂な空間を害することなくひっそりと建つその姿は、神域とは本来かくあるべしと、語りかけている様に思えます。
大正年間、外本殿と拝殿の建立には沢山の寄付が集まった様で、寄付金額と人名が刻まれた石碑が所狭しと並べられています。その中にはご当地らしく『郡是製糸株弐拾株』と刻まれたものもあります。拝殿に最も近い所に建っている石碑には何と『金壱千萬圓』と刻まれており、私は心臓が止まるほど驚きましたが、これは昭和六〇年代のものでした。現在においても一千万円は相当な大金ですが、比沼麻奈爲神社はそれだけの大金を投じても、悔いが残らないだけの魅力を持ち合わせた神社なのかも知れません。
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右端に「金壱千萬圓」の文字が・・・・・
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実際深い緑に覆われた社殿に参拝すると、大変清々しい気持ちになれます。但し本殿向かって左側にある注連縄が巻かれた五角形の石柱は畏怖の存在であり、余程篤い信仰心を持たない限りは、みだりに近づくべきではないと思います。(私はカメラを向けることができませんでした。)
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降り注ぐ陽気が見えますか?・・・・・ |
