〜 おゝしあまのさと 〜

 

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笑原神社

〜 稀代の智将はマナイに何を見た?〜

笑原神社

名  称    笑原(えばら)神社 ※笶原(やはら)神社とも?
所 在 地    京都府舞鶴市紺屋町二九
主 祭 神    天照皇大神・豊受姫神・月夜見命
相  殿    清和天皇・宇多天皇
奥  宮  有(平成16年の台風で倒壊?)
摂  社  
末  社  稲荷神社
祝  部  坂根氏?・清水氏?
そ の 他  裏山に巨大な忠魂碑あり

御由緒(舞I城下町倶楽部作成の碑による)

 天平勝宝元年頃に創設された古社。
 祭神は、天照皇大神、豊受姫神、月夜見神。
 相殿に淳和天皇、宇多天皇が祀ってあり、かつては
魚居社(まないのやしろ)とも呼ばれ、古代海部(あまべ)や凡海連(おおしあまのむらじ)に関わりをもつ。

建築様式

 笑原神社社殿の屋根は銅葺きで、本殿の勝男木は七本、千木は外そぎです。   拝殿は存在せず本殿に大屋根をかけて囲む形式を採っています。この形式は舞I地方に多く見られます。

社殿の千木と鰹木

 勝男木が七本、つまり奇数で尚かつ千木は外そぎという形式は、司祭している最も神格の高い神様が男性神であることを示します。つまり笑原神社の主祭神は本来天照皇大神ではないか、笑原神社にとっての天照皇大神は男性神であることを暗に示しているものと思われます。

伝承・異聞

 笑原神社の鳥居には清和天皇の書と伝わる額が掲げられています。額には総社笶原魚居匏宮(そうじゃえばらまないよさのみや)と記されています。笑原神社が魚居社と呼ばれていたとされる根拠のひとつがこれです。

総社笶原魚居匏宮 とある

 魚居匏宮とは真名井吉佐宮、つまり元伊勢であると主張しているのです。実際古代に於いて当宮を祭祀していたのは海部氏の支族である坂根氏(現在西舞鶴に坂根さんや嵯峨根さんなどの苗字が多いのはその名残)であり、何より笑原神社一体は元伊勢としての根拠を有しているのです。

朝代神社 田辺城下の産土神を祀る

 笑原神社を南に行くと朝代神社があります。創建は天武天皇の御代という古社で、田辺城下(現・西舞鶴)の産土神をお祀りしています。

笠水神社

 朝代神社を南に行くと笠水神社があります。丹波国造の祖である笠津彦神と笠津姫神をお祀りしています。

二代目(?)真名井の清水

 笠水神社を東に行くと真名井の清水と呼ばれる沼池があります。丹後風土記残によると、丹後の真名井は京丹後市峰山町の磯砂山に端を発し、豊受大神の遷座と共に新たに湧き出したとされています。伝説によると、当地は磯砂山から数えて二代目の真名井です。丹後風土記残缺 は加佐郡の項しか存在しませんが、恐らく三代目が籠神社奥宮真名井神社の鎮座する真名井ヶ原なのだと思います。

 真名井の清水〜笠水神社〜朝代神社〜笑原神社

 かつてこのルートは一本の水路で繋がっており、その様な細工をした人物こそ、戦国武将にして田辺城に居城していた細川幽斎でした。真名井の清水から笑原神社へと流れ込んだ清水は、更に田辺城に流れ込んでいました。幽斎は真名井の清水で茶を楽しんだと言われています。

 細川幽斎は稀代の智将の誉れ高い人物ですが、後陽成天皇をして『幽斎討ち死にせば、本朝の神道奥義、和歌の秘密、永く途絶えて神国の掟も空かるべき ・・・・・・・』と言わしめるほど神道にも精通した人物でした。幽斎は加佐郡(現在の舞I)を平定するや、次々に古社古刹を中興させていきましたが、笑原神社に対するそれは桁違いなものでした。

 ※細川幽斎については、田辺城動乱をご覧下さい。

私的感想

 笑原神社は今では小さな神社となってしまいましたが、今でも地域の住民に愛されている神社です。

マナイ通りの由来は笑原神社にある

 笑原神社と田辺城跡のほぼ中間に「マナイ通り」がありますが、この通りの由来は魚居社にあります。しかしその事を知る人は少なくなってしまいました。寂しいことです。

 

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