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竹野神社

〜竹野媛の故郷〜

竹野神社鳥居

名    称  竹野神社
所 在 地  京都府京丹後市丹後町宮小字宮谷245
主 祭 神  天照皇大神 
相   殿  竹野媛命 日子坐王命 建豊波豆良和気命
奥   宮  ?
摂   社  ?
末   社  ?
祝   部  櫻井氏 

御由緒

社伝によれば、垂仁天皇に仕えた丹波の大県主由碁理の娘・竹野媛が、晩年竹野に戻り天照皇大神を祀ったのが竹野神社の始まりだと云います。

竹野神社は丹後一の古社を自負しており、丹後の元伊勢伝説は竹野神社があったが故にのちに創作されたものだとしています。しかしながら通常元伊勢の名を冠する事はなく、地元の人達から「齊(いつき)さん」と呼び親しまれています。

伝承その他

竹野神社は京都府竹野郡丹後町に位置し、周囲1キロメートル四方に及ぶ屏風岩である立岩、丹後地方最大の古墳である神明山古墳(全長190メートル)、役小角が開いたとされる丹後半島最北の独立峰である依遅ヶ尾山(いちがおやま 標高540メートル)、間人皇后伝説を今に伝える間人(たいざ)等に囲まれる形で鎮座しています。

日本のエアーズロック? 立岩

齊宮としての竹野神社

竹野神社には、齢14歳の女性を一晩依遅ヶ尾(いちがお=丹後一の山の意)山にてすごさせて巫女に仕立て上げたとする伝説が残っています。なお、この巫女を輩出したであろう一族に桐村の姓があり、この家系からは某宗教団体の教祖も輩出しています。

色濃く残る鬼の伝説

丹後地方最大の古墳である神明山古墳の近くの牧の谷に、鬼神塚と呼ばれる塚があります。(かつては33基あった模様ですが、今は耕地整理によって数基を残すのみです)
竹野神社には、かつて『鬼まつり』と呼ばれる風習があったようです。祝部である櫻井氏と宮衆徒33人が鬼役となって牧の谷の鬼神塚に呪文を唱えにいく行事だそうですが(現在は廃絶)、このまつりを見た者は3年のうちに命終わるとされていたため、見た者は誰も居ないのだそうです。なお、古文書によると
『社家の者達、斎戒沐浴してまつりの前日より籠もる。翌日、社司櫻井氏と共に牧の谷にへ行き、鬼神塚に呪文をささげる。その夜のの後半に及ぶ頃、社司と従者ひとり竹野神社本殿に参り、米を洗い飯を炊く。飯に砂を半ば混ぜて神前に供して直ぐに帰る。その飯を食う者ありという。その夜、奇妙なことありとて、日の暮れより家の戸を閉ざして一人も戸外に出る者なし(要約・大江山鬼神幻影 丹哥府誌より引用)』とされています。

また、竹野神社には、麻呂子親王による鬼退治伝説を伝える絵巻物と漢文体からなる「斉明神縁起」を保存しています。縁起によると麻呂子親王は土熊(つちぐま・土車とも記す。語源は土蜘蛛か?)と呼ばれる鬼を立岩に生きたまま封じ込めた事になっています。

私的感想

私が竹野神社を訪れたのは、たった一度のみです。一歩神域に足を踏み入れたところ、畏怖というか何とも恐ろしい気分になりました。第一級の神域であるにも関わらず、何とも荒んだ雰囲気が私にカメラを構える事さえ躊躇わせました。世が世なら浄財に困る事もなかったでしょうに・・・・・・・
櫻井氏による浄財を求める立看板が、悲しく私の目に映りました。

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