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皇大神社

〜古神道の聖地〜

皇大神社拝殿と黒木鳥居(画像提供・MS調査隊)

名    称  皇大神社
所 在 地  京都府福知山市大江町字内宮
主 祭 神  天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ) 
相    殿  
奥    宮  天岩戸神社
摂    社  天手力雄命社 栲機千々姫命社
末    社  熊野神社 三女神社以下八十社
祝    部  朝暉(あさひ)氏 昭和初期に断絶

御由緒(皇大神社編纂による)

伝承によれば、第十代崇神天皇三十九年(西暦紀元前五十九年)に、「別に大宮地を求め鎮め祀れ」との皇大神の御教えに従い、永久にお祀りする聖地を求め、それまで奉斎されていた倭の笠縫邑(現奈良県桜井市)を出御されたのが、いまを去る二千数十年前の遥かな昔であった。そして、まず但波(丹波)へ御遷幸、その御由緒により当社が創建されたと伝えられている。
 
皇大神は、四年ののち、御神蹟をおとどめなされて再び倭へおかえりになり、諸所を経て、崇神天皇二十六年(西暦紀元前四年)に、伊勢の五十鈴川上の聖地(いまの伊勢の神宮)に常永遠にお鎮まりになった。しかし、天照皇大神の御神得を仰ぎ慕う遠近の崇敬者は、引き続いて当社を内宮の元の宮として「元伊勢内宮」あるいは「元伊勢皇大神宮」「大神宮さん」などと呼び親しみ、今に至るも庶民の篤い信仰が続いている。

(皇大神社社務所発行のパンフレットより)

建築様式

皇大神社の社殿は神明造であり、本殿の勝男木は十本、千木は内そぎで、左右に棟持柱があります。
特筆すべきは鳥居の形状で、杉の木を皮を剥がないまま組まれています。これは黒木の鳥居と呼ばれる形で、全国的にも数例しか見られない大変珍しい形です。

また、参道脇にある御門神社は、社殿が竹で構築された大変珍しい形をしています。

御門神社(画像提供・MS調査隊)

伝承と異聞

皇大神社の社殿向かって左側に、「龍灯の杉」と呼ばれる一本の杉の巨木があります。樹齢二千年に近いと推定されるこの巨杉に、毎年節分の夜の丑三つ時、龍神が梢に明かりをともしにやってくるとの伝説からこの名があります。残念ながら龍灯の杉は、一九六一年に信者の灯明の火から火災に見舞われ無惨な姿になってしまいましたが、それでも枯れることなく現在に至っています。

龍灯の杉(画像提供・MS調査隊)

龍神伝説と海人族との関連は有識者が常に指摘するところであり、境内末社には三女神社(宗像三女神を祀る)が古より鎮座している事からも、近年古代史関係者の注目を集めています。

一の鳥居を潜ってすぐに異種異様な姿の巨木が目に付きますが、これは「癌封じの樹」と呼ばれている樹です。人間の病気を吸い取ってくれる霊験あらたかな樹なのだそうです。(この樹の画像についてはご容赦下さい)

参道にそびえる三本の杉(現存するのは一本のみ)は「麻呂子親王お手植えの杉」と呼ばれています。土蜘蛛退治に丹後へ派遣された麻呂子親王が自ら植えた杉だとされています。

麻呂子親王お手植えの杉

驚愕の伝説

元伊勢を名乗っている皇大神社ですが、同じく元伊勢を名乗っている籠神社の格式が余りにも高い事と、近くに五十鈴川が流れ、元伊勢伊勢外宮を名乗る豊受大神社が存在する事から、偽物と断定する説が多く見られます。皇大神社の正体は・・・

  ・所在不明となっている不甲神社(延喜式内宮)である
  ・本来は天手力雄神社(丹後屈指の古社)である
  ・麻呂子親王が勧請した神社である

等の説があり、江戸時代よりまことしやかに囁かれてきました。
しかしながら
筆者は、仮に皇大神社が伝説の但波乃吉佐宮でなかったとしても、皇大神社の存在意義が薄れるとは考えていません。神代の昔から、皇大神社が鎮座している一帯は聖地とされていたはずだからです。かつてこの地が川守郷の中でも特に神戸郷(かんべのさと:古代、神社に世襲的に所属して貢納と奉仕を任とした民戸を神戸と呼ぶ)と呼ばれていたことからもそれは明らかですが、何よりもそれを雄弁に物語る存在として、岩戸山(亦名・城山、日室ヶ嶽)について語らなければなりません。

日本一美しいピラミッド?
岩戸山(亦名・城山、日室ヶ嶽)

岩戸山は、皇大神社近くにある標高四二七メートルの山で、美しい錐の形をしています。この山は千古斧鉞を入れざる神体山(神奈備)であり、夏至の日の夕刻、皇大神社の遙拝所と呼ばれる場所から岩戸山を眺めたならば、夕陽は岩戸山の頂上に沈むと言われています。頂上付近には倭姫の磐座と呼ばれる巨大な岩の構造物があるとされており、昭和初期、偶然山頂に至った(神体山故に道がなく、通常登ることは不可能)数名の人たちによってその存在が確認されている模様です。近くからは縄文時代のものと推測される祭祀跡も見つかっている事から、縄文時代には既に岩戸山が信仰の対象となっていた事が伺えます。
昭和六〇年代、週刊誌にて『日本一美しいピラミッド』と紹介されて以来、岩戸山は超古代史ファンを中心に注目を集めるようになり、地元大江町が発行している観光マップには、 ピラミッドと記載されています。

「ピラミッドは本来日本の歴史的構造物であり、エジプトのピラミッドは日本の模倣に過ぎない」と主張し、『古代日本のピラミッド』を著した酒井勝軍(さかいかつとき)は、日本のピラミッドは本殿としてのピラミッドに対する拝殿山あるいは拝殿部分があると主張していますが、この主張に符合すると思われる証言があります。
明治末期、籠神社がそうであった様に、皇大神社においても社格昇格運動が起こりました。運動の中心的存在として活躍された脇田房蔵氏(元河守上村長)は、皇大神社周辺の口碑調査をメモにして残されていますが、その中に
『日室ヶ嶽(岩戸山)に相対峙する山を高底城山という。高底城とは御陵地の尊名であり、ここは皇大神の御遺骸を納めた地である。』との驚くべき伝承をとどめています。

※日本のピラミッドについて詳しく知りたい方は、
泰山の古代遺跡探訪記(by泰山さん)をご覧下さい。

古神道家の聖地

古代より皇大神社一帯は聖地とされていましたが、明治以後、聖地としての色合いは一層鮮明になりました。事の発端は大本開祖・出口ナオと大本聖師・出口王仁三郎が皇大神社を真の元伊勢と崇敬し、天岩戸神社の清水で禊ぎを行った事に遡ります。

天岩戸神社(画像提供・MS調査隊)

天岩戸神社境内

天岩戸神社は岩戸山と皇大神社を隔てる五十鈴川渓谷に鎮座する神社で、御座石・神楽岩・大神の産盥・鯉返し岩などの奇石を有する、皇大神社の奥宮に位置づけられる神社です。

大本以来、皇大神社とその周辺地域を日本屈指の聖地と位置づけする神道系の団体はあとを絶ちません。境内を見渡せば至る所にその証拠を見ることが出来ます。例えば昭和六十二年、皇大神社境内に四本の榎の苗木が植樹されましたが、そのうち二本は伊勢神宮からヘリコプターで空輸され、残る二本は大本と世界救世教がそれぞれ献木して実現したものです。下の二枚の画像は、平成十二年五月に
MS調査隊が皇大神社神楽殿にて撮影したものですが、古神道とは何かを理解している方はさぞや驚かれる事でしょう。

(画像提供・MS調査隊)

(画像提供・MS調査隊)

私的感想

筆者は一度、夏至の日に皇大神社を訪れたことがあります。残念ながら岩戸山山頂に太陽が沈む様子を見ることは出来ませんでした(既に太陽は山に隠れてました)が、山の頂から天に向かって青白い炎のようなものが沸き立つ様を確認しました。岩戸山の亦名を日室ヶ嶽と申しますが、この名は恐らく「神籬(ひむろぎ:大昔、神を祀る時、清浄の地を選び、周りに常磐木を植え、神霊の宿る場所としたところ)」に由来するのでしょう。また、標高四二七メートルという高さは、裾野から山頂までの純粋な高さを考えると、日本の代表的な神奈備である奈良県桜井市の三輪山にほぼ合致すると思われます。

皇大神社に参拝すると、時折宗教家とおぼしき方々に出くわすことがあります。彼らは清酒や卵を持参して天岩戸神社へ向かいます。推測ですが、彼らが崇め奉る神は皇祖神アマテラスではなく、龍神若しくは蛇神なのでしょう。

筆者は皇大神社一帯の清浄な雰囲気に魅せられて、何度も足を運んでいますが、ひとつ気になることがあります。それは天岩戸神社周辺の気が枯れ始めているのではないかと思える事です。特に水量が激減している様子には漠然とした恐怖の念を抱いています。大自然の治癒能力に期待して止みません。

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