京都府舞鶴市の大浦半島には、屋根とも呼ぶべき山がふたつあります。ひとつは東大浦にある空山(標高550m)で、もうひとつは西大浦にある多禰山(標高556m)です。
西国薬師第三十番札所である多禰寺(たねじ)は、多禰山の中腹に位置します。舞鶴市内最古の寺で、御開基は聖徳太子の異母弟・麻呂子(まろこ)親王、用明天皇勅願所の格調高いお寺です。
麻呂子親王の七薬師伝説
用明天皇の御代、丹後國河守荘三上ヶ嶽(現在の大江山)に、英胡(えいこ)・軽足(かるあし)、土熊(つちぐま)の三鬼を首領とする多くの鬼が棲み、丹後はまるで魔國のようになっていました。
朝廷は鬼を討伐すべく、知勇兼備の麻呂子親王を大将軍とする官軍を遣わす事に決し、勅を奉じた麻呂子親王は一万綺からなる大軍を率いて三上ヶ嶽へ攻め入りましたが、鬼の妖術には全く歯が立たず、苦戦を強いられました。
仏の御加護を以て鬼を討ち果たそうと考えた親王は、自ら七体の薬師如来像を彫り、「もしも鬼を討ち果たせたならば、この薬師如来像を祀って丹後に七寺を開きます」と祈誓されました。するとどうでしょう。額に鏡を付けた白い犬が現れました。この白い犬を先頭に三上ヶ嶽へ攻め入ったところ、鏡の光で鬼は妖力を失い、官軍は無事鬼を討ち果たす事が出来ました。
感謝の意を込めて、約束通り親王は、丹後に薬師如来像をご本尊とする七つの寺をお開きになりました。
今日、丹後には七十ヶ所以上に麻呂子親王にまつわる伝説が残っており、七薬師の寺を主張する寺院も七ヶ所以上ありますが、多禰寺縁起によると以下の通りです。
一、加悦荘・施薬寺(与謝野町)
二、河守荘・清園寺(福知山市大江町)
三、竹野郡・元興寺(京丹後市丹後町)
四、竹野郡・神宮寺(京丹後市丹後町)
五、溝谷荘・等楽寺(京丹後市弥栄町)
六、宿野荘・成願寺(宮津市)
七、白久荘・多禰寺(舞鶴市)
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多禰寺本堂 屋根の独特の傾斜は積雪から本堂を護るためのもの |
多禰寺と麻呂子親王を結びつけるものとしてもうひとつ、『はぎのはしら』があります。これは多禰寺の創建時に、麻呂子親王が麓の平村から運ばせたとの謂われがある、萩の大木で造られた柱で、文政七年(一八二四)に本堂が再建されたときも、大切に残され現在に至ります。
文化財の宝庫
多禰寺の仁王門で睨みをきかせていた金剛力士像は高さ三・五メートルを超える日本屈指の巨大なもので、鎌倉中期の慶派の仏師によるものと見られます。