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五老ヶ岳(京都府舞鶴市)から見た青葉山 |
青葉山は、一つの山の東西に二つの峯がある。それぞれに名神が在り、青葉の神と名付けている。その東に祭る神は若狭彦神・若狭姫神の二座。その西に祭る神は笠津彦(うけつひこ)神・笠津姫(うけつひめ)神の二座である。これが若狭国と丹後国の境であり、笠津彦神・笠津姫神は丹波国造である海部直たちの祖先である。二峯とも松柏が多く、秋になっても色が変わらない。
〜丹後風土記残缺・志楽郷より〜 |
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福井県高浜町から見た青葉山 |
京都府と福井県の二府県に跨ってそびえる青葉山(標高699m)は、古来より聖なる山として崇められてきました。この山は福井県高浜町から眺めれば、ふたつの峯が重なって秀麗な三角錐に見えます(別名・若狭冨士)が、京都府舞鶴市から眺めたならば、火山であった太古の姿そのままにふたつの峯を見る事が出来ます。
平成十八年五月、私が最高顧問を務める某占いショップの黒幕氏に、「青葉山に登りませんか?」と問いかけたところ、「よし。で、いつ行くの?」とのお返事が返ってきたので、端午の節句で上弦の月の日で、尚かつ何とか快晴が維持できそうな五月五日に黒幕氏と共に青葉山に登ることにしました。 |
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青葉山に登るルートは現在いくつかありますが、私たちは舞鶴市の松尾寺から登ることにしました。
松尾寺は和同元年(七〇八年)唐僧、威光上人の御開基による丹後屈指の古刹で、養老年間には加賀国白山から泰澄大師が来山し、妙理大権現を青葉山頂に祀った事でも知られる西国第二十九番霊場です。
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松尾寺ルートの登山口は本殿横の渡り廊下をくぐったところから始まります。
当日は、境内の桜が満開でした。 |
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杉の林を抜けて中腹の鳥居をくぐったあたりで、既に私の体力は尽きてしまっていました(情けない)。 つづら折れの度に小休止しながら進んでいくと、ルート上にむき出しの岩場がいくつも現れ出しました。このロープを伝って登れと言うことらしいです。腕力を使って登れたのでこの場は予想に反して楽でした。 |
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養老年間に加賀国白山から泰澄大師によって祀られた松尾寺奥の院・妙理大権現です。石組みは総て火山岩で築かれています。
こちらを参拝した際、90度以上の深いお辞儀で臨みました(単にバテていただけ)。
こちらで小休止していると、何故だか急に体力が回復していきました。気を取り直して西峯に進みます。 |
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遂に青葉山の西峯にまでやってきました。
現在どうなっているのかは不明ですが、この祠には丹後國加佐郡の国産みの神である笠津彦(うけつひこ)と笠津媛(うけつひめ)の二神がお祀りされていたはずです。
※この笠(うけ)を笠(かさ)と読み違えたことが加佐郡(舞I含む)の由来です。本来なら笠郡(うけのこほり)となるべきでした。 |
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祠の背後にある磐を登り、日本海を望みます。
中央遙か彼方に冠島を望むことができました。コンパスと地図とを見比べて解析すると、西峯の祠は中津岩グリ(冠島と沓島の中間にある岩礁)を背にして建っている
ようです。
ちなみに、画像向かって右側に映っている島は毛島で、この毛島の更に手前(正面崎の陰に隠れて見ることが出来ない)に、日子坐王(ひこいますのきみ)率いる官軍が青葉山に棲む鬼を討伐に来た際、追撃のための軍勢を整えたとの伝説が残る馬立島があります。 |
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黒幕氏にデジカメをお借りして、最大望遠で撮ってみました。肉眼では見えませんでしたが、沓島まで映ってました。
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良い景色を見てすっかり気力・体力を回復した私は、東峯まで行くことを黒幕氏に提案し、一行は東峯まで足を伸ばす事にしました。
『青葉山は白山火山帯に属していて、今でこそ死火山だが、かつてはマグマを噴き出していた。その為本来の頂部は欠損していて、西の峯と東の峯に、かろうじて昔の面影が残っている。』とは私が小学生の頃
社会科の授業で習った事柄です。
西峯から東峯に行くには、火山が爆発し、溶岩が噴出した跡を歩くことになります。
段々まわりの空気が厳としたものに変わっていくのが感じられました。
どうやら登山のセオリーを無視して午後から登り始めたのは間違いだったようです。 |
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暫く歩くと、突然基部から頂部まで10メートルは優にあろうかという巨石が行く手を塞いでいます。ここで行き止まりかと思っていたら、何と磐の中央に亀裂が走っており、しかもその中を通って東峯に向かうようになっていました。
あとで知ったことなのですが、この奇磐は、泰澄大師の行場跡と呼ばれているそうです。加賀国白山から来山した泰澄大師は、此処で妙理大権現を感得して松尾山の奥の院として祀ったのです。
なお、泰澄大師の本名は秦泰澄(はたのたいちょう)です。
青葉山の謎が総て解けた気がしましたorz
この奇磐を抜けると、青葉山登山の一番の難所と呼ばれる鎖場です。今は随所に階段やロープが設置されて、随分楽に通行できるようになったとのことですが、一番怖いところのローブが切れかかっており、フリークライミングを余儀なくされました。ひょっとしたら本来のルートとは違う道を歩いていたのかも知れません。このルート、私自身かなり怖かったようで、余裕のなさから東峯まで一枚も写真を撮っていません。 |
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ヘロヘロになりながらも青葉山の東峯にまでやってきました。
現在どうなっているのかは不明ですが、この祠には若狭國の国産みの神である若狭彦と若狭媛の二神がお祀りされていたはずです。
この祠も、中津岩グリを背にして建っていました。結果、神社は南面すべしとのルールを全く無視して建てられています。
さて、本来なら車を停めている松尾寺に戻るため、もう一度今まで来た道をひき返さなければならないのですが、私にもうその気力はなく、東峯からそのまま福井県の登山口へ下山する事にしました。 |
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東峯から下界(京都府方面)を望みます。
向かって右手に見えるのは舞I港です。 |
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同じく東峯から下界(福井県方面)を望みます。 舞I若狭自動車道の橋脚が見えます。 |
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多分金比羅さんだと思います。 周辺は整備されてベンチなどもありました。 |
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金比羅さん近くの展望台から大飯郡の海岸を望みます。天気が良ければ遙か彼方に能登半島や白山まで望むことが出来るようです。 大飯郡は夏になれば海水浴客で賑わうところです。 |
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私が今回の登山で使用した靴がこれです。厚い靴底は一部岩場では大活躍したのですが、一般的には重すぎました。
お陰で後日激しい筋肉痛に苛まれました。 |
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